ヨシキのプロフィール

かゆとどを運営してます、ヨシキの自己紹介ページです。

運営者はどんなやつ?

ヨシキ
1987年生まれ。兵庫県出身の、富山県在住。

2009年からずっとインターネット回線の営業をやっています。
現在は営業代理店に勤め、営業部長をしています。

2023年から読書にはまり、2024年に読んだ本は500冊です。
最後500冊に到達するために、急いで読みました笑
主に小説、ビジネス書を読んでいます。

ゲームも大好きで、毎日少しでもゲームの時間を作るようにしています。


JavaScriptとGASをメインにプログラミングを勉強中。

好きな作家、著者

  • 東野圭吾
  • 湊かなえ
  • 下村敦史
  • 池井戸潤
  • 森岡毅
  • 神田昌典

好きなゲーム

  • ドラクエ(特に5、6)
  • ペルソナ(3,4,5)
  • メタルギア(ナンバリング全て)
  • 龍が如く(基本全部。現在8プレイ中)
  • バイオハザード(特にRE2とRE4)
  • Ghostwire: Tokyo
  • ニーアオートマタ(2B好き)

過去の経歴

高校卒業まで

高校まで全て公立。平均的な成績でした。
高校では軽音楽部に所属。
周りのバンドはすべてコピーをやっている中、ほぼ全曲オリジナル曲をやっていました。
みんな知らない曲なので文化祭などでも全然盛り上がらないバンドでした。


大学は偏差値50ちょいの私立大学に入学。
高校時代の軽音楽部のメンバーと新たにバンドを結成し、プロを目指しながら活動していました。

大学を中退し、美容師を目指すが・・・

この頃は人と同じが嫌だと感じており、大学卒業後に普通の会社員をしている自分が想像できませんでした。服が好きだった自分は、服を一番楽しめる職業は美容師だ!美容師になりたい!と思い、1年半ほどで大学を中退。
美容学校の学費を稼ぐためにアパレルでバイトを始めました。

アルバイトをしながら、美容学校の体験入学に行きました。
そこで、なんと妹の同級生と遭遇。
大学を中退しているため、2歳下の人たちと一緒になることは必然なのですが、まさか妹の同級生に会うとは思いもよらず・・。
さらに、パーマ用のカールを巻く体験をしていたのですが、これが驚くほど難しい。
自分が超絶不器用であること、美容師には器用さが必要であることを完全に見落としていました。
加えて、その頃アパレルのアルバイトで月に20万円ほど稼いでいました。そのため、頑張って美容師になれたとしても今より給料が低くなってしまうことを受け止めきれず、美容師になる夢を諦めました。

バンドの解散と営業会社への就職

美容師を諦め、バンドとアパレルのバイトの日々を過ごします。
そして、アパレルの会社で社員にならないかと誘われ、就職することになりました。
店長をしながらバンドをする、楽しい日々が続きます。
今思い返しても一番キラキラしていた時期でした。

そんな中、バンドメンバーとのトラブルがあり、バンドが解散することになってしまいました。
少しずつではありましたが、手応えを感じていた中での解散だったので、非常にショックを受けます。
更に、仕事のお店が閉店することになり、別店舗に異動になりました。
今まではバイクで15分程度の距離だったのが、今度は電車で1時間半ほどかかる遠い店舗になってしまいます。

1時間半もかかるので、終電も早めです。
それなのに上司が閉店後に店のレイアウトを変え始め、終電ギリギリになることもしばしば。
駅まで走っている途中、数人組の歩行者を追い抜く際に「変な走り方だね」と言われたことが、記憶がいまだに残っています・・・。

それでも勤務を続け、異動した店舗で1年が経過しました。
年に一度の給料査定がやってきます。
店長として、前年対比120%の売上を出せました。
さらに、田舎の店舗にもかかわらず、メール会員登録数での表彰もされたり一生懸命にやってきたつもりです。
少しでも給料が上がることを期待していたのですが、なんと給料は据え置きでした。
じゃあどうすれば給料が上がるんだよと、非常に落胆します。

やる気を失った中、ソリの合わない上司との日々も続き、仕事を続けていく気がなくなってしまいました。ある日突然、もう行きたくないという気持ちが強くなり、即日で退社することにしました。
いわゆる「飛んだ」ことになります。

超絶ブラック会社の日々

アパレルの会社を辞めたあと、次の仕事を探し始めました。
頑張った分だけ評価される仕事はないかなと考えていたところ、面白い求人を見つけました。
ケーブルテレビの営業の仕事で、月給28万5千円+歩合給。
勤務時間は10時から19時、週休二日でノルマもなし、多少の残業ありという魅力的な求人です。
営業の経験はありませんでしたが、頑張った分だけ評価される仕事は営業だ!ということで、その会社に入社することになりました。

しかし、この会社はとんでもなくブラックな会社だったのです。
まず、多少の残業ありとのことでしたが、とんでもない。
深夜0時をすぎることは当たり前。深夜2時に仕事が終わることもありました。
求人の文章書いた人多少の範囲が広いんですねー。
ノルマなしとありましたが、バリバリノルマが設定されていました。
各個人に合わせたノルマが設定され、数人のチームを組まされます。
チーム全員のノルマが達成できていなければ、休みが1日なくなります。
しかも、そのノルマは簡単なものではなく、なかなか連休が取れませんでした。
さらに、単発の休みだったとしても、18時に集合させられ、翌日以降のアポの電話を入れなければならないのです。実質休み0です。


普通なら即刻やめそうな会社ですが、頑張った分だけ稼げることは間違いなかったこと。
富山に新しく支店ができるとのことで、新エリアは稼げるとの話もあったため、入社早々富山に転勤していたこともあり、なかなか辞めずに続けていくことになります。
超絶ブラックな会社ではありましたが、当時若かったこともあり、体育会系の部活のような感覚で楽しめてはいました。
会社も順調で、社長もいつか上場するぞと意気込んでいました。
持株会の制度があり、上場した暁には持株が大金に化けるかもしれないと、夢見ていました。

ブラック営業会社での勤務が数年続いた頃、会社に異変が起こり始めます。
まず、変な事業に手を出し始めました。まちおこし事業の名のもとに、健康食品を売り始めたのです。
なにやら、ある地方の町の特産を使用し、健康食品を作り、その町に旅行に来た人に健康食品を買ってもらうというプランとのこと。
それまでのケーブルテレビやインターネットの営業とは似ても似つかない仕事です。
健康食品の栄養の研修なども受けさせられました。僕らが売ることは一切ないのに。
上手くいくんだろうかと不安を覚えつつも、ケーブルテレビの営業に励んでいました。

しかし、健康食品の事業は全くうまくいかなかったようです。
なんと、社員全員、健康食品の在庫を強制的に買わされることになりました。
賞味期限切れの商品を、半額で無理やり売りつけてきたのです。
このあたりから段々と怪しくなってきました。

まず、優秀な社員たちがどんどん辞めていきました。
売上からかなりマージンをとって、営業員に還元していたため、独立したほうが圧倒的に稼げるからです。
更に、ケーブルテレビ加入者に特化した営業のため、営業対象に限りがあります。
そのため、同じお客様に何度も営業をかけることになってしまい、市場がどんどん厳しくなっていきます。
どんどん稼ぎづらくなっていくし、ブラックな勤務環境はかわらないので、転職を考え始めました。

同僚のつくった会社への転職、そして難病へ・・・

その時すでに結婚をしており、子どももいました。
家庭にとっては最悪な職場です。
次の仕事は営業ではなく、もっと安定してホワイトは職場にしたいと考えていました。
富山県庁の職員を募集していたので、そこを目指そうとしていました。
そんなとき、退職していった元同僚から声をかけられます。

辞めていったもう一人の同僚と一緒に、会社を起ち上げるつもりで、一緒に働かないかとの話でした。
営業ではなく、営業サポートの事務とのことです。
少し迷いましたが、妻とも相談し、転職することになりました。

事務での入社でしたが、なんやかんやあって、結局営業として働くことになります。
社員が少しずつ増えて、支店も増えて、徐々に大きくなっていきました。
僕も任される仕事が少しずつ増えて、営業部の部長職を任せていただけることになりました。
一筋縄ではいかないことも多く、人とは本当に難しいなと思いつつ、勉強の毎日です。

仕事とは別で、2020年コロナが全国的に流行り始めたころに、体に異変が起こりました。
体に力が入らなくなってしまったのです。
症状は徐々に悪化しており、階段を登るにも苦労したり、4歳のまだ小さな子どもすら満足に抱っこできなくなってしまいました。

原因が分からず、はじめに近くの内科に行きましたが、コロナかもしれないと言われ診てもらえず。
病院を探して、脳神経内科を受診します。
脳神経内科で色々検査をしましたが、特に異常は見つからず。
一時的なものであろうとのことで、ビタミン剤を処方されました。
こんなんで治るんかいと思いつつ、服用してみると、多少はマシな気がします。

ですが、悪化の速度のほうが早いようで、症状は少しずつ進行していきました。
もう一度脳神経内科を受診したら、もっと大きい病院で検査したほうがいいかもしれないと言われました。

最寄りの総合病院に受診しにいくと、すぐに精密検査のために入院してくださいと言われました。
この頃には新品のペットボトルは開栓できなくなっていました。
子どもがペットボトルを開けられるようになったかなという頃に、逆に自分が開けられなくなってしまって、情けない気持ちでいっぱいでした。

検査の結果、慢性炎症性脱髄性多発神経炎、通称CIDPという病気でした。
なんなんだこのすごい長さの名前は。
めっちゃ性的やんなどと、のんきな事を思っていました。

これは国にも難病に指定されている病気で、一生付き合っていかないといけない病気でした。
ほぼ治る人もいるし、どんどん悪化してまともに動けなくなることもあるようでした。

治療法は3つほどあって、1つずつ試していきます。
免疫グロブリンという、人の血から作った薬を月に2回点滴する方法から始めました。
1回につき8時間もかかるので、月に2回休みが台無しになってしまうのが苦痛でした。
点滴後は良くなるのですが、点滴から時間が経過すると力が入らなくなってきます。
やはり、徐々に悪化していくため、別の治療法を試すことにしました。

次はステロイドの服用です。
ステロイドの薬を飲むだけなんですが、なにやら最初はステロイドを大量に点滴して、そこから徐々に量を減らしていくとのこと。
3週間の入院が必要とのことでした。
コロナ禍で、面会は禁止。外出も禁止なのが辛かった。
部屋も窓際ではなかったので、外の空気が吸いたくて風呂場の窓から顔を出していました。
これを機にタバコをやめられたのは唯一の良いことでした。

ステロイドはあまり効果がなく、副作用だけが襲いかかります。
顔がパンパンになるムーンフェイス、骨がスカスカになる骨粗鬆症になりました。
まだ30台前半なのに、なんと70歳相当の骨密度に。
これはまずいとのことで、別の治療法に切り替えます。

次は、自宅で免疫グロブリンを毎週注射するというものでした。
これが僕にはすごく合っていたようで、体の調子はどんどんよくなっていきました。
ステロイドは急にはやめられないようで、少しずつ量を減らしでいきました。
その後骨粗鬆症の治療も始め、70歳だった骨密度も40歳程度まで戻りました。

毎週2時間程度の注射をしなければならない不便さはありますが、健康的な生活を送れています。
ですが、問題は治療費です。
自分自身の負担は指定難病ということもあり、月1万円で済んでいます。(それでも、毎月ですので決して安くはありませんが。)
免疫グロブリンが非常に高価であり、本来の医療費は毎月100万円を超えるんです。
健康保険の3割負担だとしても30万円です。

なので、自分は保険制度と難病支援の制度の恩恵をとんでもなく受けています。
日本の制度に感謝するとともに、自分が施されてる側なんだと強く自認しています。
僕はもっとお金を稼ぎ、その分の税金を収め、施されている分を社会に返していきたいと考えています。

そのために、今は日々勉強の毎日です。
2023年から読書を開始し、2024年は500冊読みました。
これまではインプット偏重だったため、2025年からはアウトプットに重きを置きます。
得た知識をみなさんにも共有していきたいと思います。

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